本記事では、M&Aの機会を何度も逃し、最終的に廃業を選ばざるを得なかったある製造業の事例をご紹介します。
赤字が続くなか、後継者不在で「売却」を決意
今回ご紹介するのは、精密部品を製造する地方の中小メーカーです。かつては特定業界の下請けとして安定した受注を得ていましたが、近年は業界構造の変化とともに受注が減少。3期連続で赤字となり、将来への展望も見通せなくなっていました。
後継者もおらず、「このままでは従業員を守れない」と、経営者は売却を検討するようになりました。
最初に現れた買い手候補、しかし価格が合わずに破談
当初、M&A仲介会社を通じて、ある若手経営者が買い手として名乗りを上げました。買い手は隣接する業界で事業を展開しており、新分野への参入を目的としてこの会社に関心を持ったそうです。
初回の打ち合わせでは事業内容や立地などにも関心を示し、双方ともに前向きな姿勢で交渉が進んでいきました。社長同士の話も馬が合っているようでした。
そこで、意向証明書を提出いただき、買収金額や引継ぎ方法を確認して、基本合意へ進めていくことになるのかなと思っていました。
いざ、意向表明書の提示を受けた際、買収金額は売り手側が設定していた最低ラインを下回る金額水準だったことから、「この金額では売れない」と売却を拒否。「だったら社員と一緒にしばらく自分でやって、業績がよくなってきたら、もっと売却金額は高くなるだとう」と判断し、残念ながら基本合意には至りませんでした。
自己流での交渉が裏目に――信頼を失った売り手の誤算とは
こうして一度話を断った売り手でしたが、時間が経つにつれ「やはりあの買い手に売っておけばよかったのでは」と気持ちが揺らいだようです。そこで当時の買い手候補に対して、仲介を通さず直接コンタクトを取ることを決めました。
しかし、M&Aの交渉においては、基本的に仲介会社が間に入り、情報管理や交渉プロセスを調整するのがルールです。そして、勝手に双方売り手と買い手が直接やり取りする「直接交渉」は、仲介会社との契約違反です。後に成約したとしても、仲介会社に成功報酬と同額を違約金として支払いする必要があります。この動きを察知した買い手企業側から、私たちに「直接連絡があったのですが……」と連絡が入りました。
その時点で、1回目のディールからすでに半年以上が経過しており、業績はさらに悪化。私たちが間に入ったものの、提示された意向表明書の条件は以前よりも一層厳しいものになっており、売り手は再び辞退を選ばざるを得ませんでした。
M&Aの好機を逃し続けた末に……

「それなら社員に引き継がせよう」――買い手との交渉がまとまらなかったあと、売り手は信頼する工場長への承継を模索しました。しかし、その工場長が退職することとなり、再び行き場を失ってしまいます。
この「従業員承継」の問題については、過去コラム「後継社長が見つからない!? 従業員へ代替わりするメリットとハードル」もぜひご参照ください。
参照:https://www.kizuna-corp.com/column/employee/
そこで売り手は新たに地元の引き継ぎ支援センターに相談し、再びM&Aの道を模索することに。センターの支援を受けつつ、独自にも買い手を探し始めたものの、話はうまく進みませんでした。この「引き継ぎ支援センター」については、過去コラム「事業引き継ぎ支援センターとは?相談するメリットや費用を解説!」もあわせてご参照ください。
参照:https://www.kizuna-corp.com/column/hikitsugi/
ようやく買い手候補と接点ができたものの、面談や交渉のなかで信頼関係が築けず、買い手側に断られてしまいます。その後も時間が経過するなかで、売り手の経営者は体調を崩して倒れてしまい、経営の継続は困難に。
結果、事業は廃業となり、従業員は職を失い、設備はまとめて業者に引き取られることになってしまいました。
「まだはもうなり、もうはまだなり」M&Aのタイミングを見誤ってはいけない
このケースのように、「もっといい条件があるかもしれない」と決断を先延ばしにすると、結果としてチャンスを逃し、最終的には誰にも引き継げないまま事業を畳むことになりかねません。
株式相場の格言に「まだはもうなり、もうはまだなり」というものがあります。売り時は難しいというたとえですが、想定価格よりも提示された価格が低いときは悩みます。もうひとつの格言「見切り千両、損切は万両」というものあります。先行きが見えないけど、買い手がついた。まさに「見切り」だったと思います。
もちろん、条件面での交渉は大切です。しかし、赤字が続いていたり、業界的に買い手がつきにくかったりする場合は、そもそも「買い手が現れた時点でラッキー」だと捉えるべき状況もあります。
実際、赤字企業であっても冷静に現状を見つめ、「価値があるうちに決断する」ことで、無事に引き継ぎを成功させている例も少なくありません。
まとめ
M&Aにおいて重要なのは、「現実的な判断力」と「適切なタイミングでの決断力」です。具体的には、下記の3点がポイントとなります。
・赤字が続いているが、業績は回復する見込みはあるか
・業界として、右肩あがりか、右肩下がりか、そして、買い手がいるのか、いないのか
・自分の事業が、今どれほどの価値を持っているのか
これらを客観的に見極めたうえで、「今決断すべきかどうか」を冷静に判断することが、企業の価値を次世代に残し、従業員や顧客を守ることにつながります。
「もっといい相手がいるかも」と先延ばしにする前に、一度、冷静に自社の価値を見つめ、“売れるうちに売る”という選択肢も検討いただければと思います。
小川 潤也
株式会社絆コーポレーション
代表取締役
