人手不足でもう限界! M&Aを考えはじめる
――M&Aという手段を考えたきっかけはなんですか?
会社を売りたくなった理由は、人手不足の一言に尽きますね。私は介護事業を4施設経営していたんですが、もう何年もとにかくスタッフが足りなくて。
事業の利益は出ていたんですが、経営者として寝ても覚めても人探しばかりやっている状況で、正直疲れてしまったんです。当時でもう70歳を過ぎていたしね。
疲弊しきってしまった私は、利益が出ているうちに会社を売ってしまおうと考えました。
しかし実は、それまでに一回、M&Aを断念していたんです。
――M&Aをあきらめたのはどうしてですか?
当時は、まず従業員や取引先にバレないようにこっそり動いていまして、一度、東京のM&A業者を呼んで話を聞いてみたんです。
しかし、どうにもピンとこなかったんですね。思えば、最初にM&Aを検討した際はそこまで本気で事業を売却しようという意思が固まっていなかったからかもしれません。
儲かってはいるわけだし、一応事業が回っているからとりあえずはいいかと、東京の業者は話を聞いただけで帰ってもらって。そのあと一年ぐらいは引き続き、人繰りに苦労しながら事業を経営していました。
このままでは借入金が返せない! 改めてM&Aを決意
――そうして一度断念したM&Aを、なぜあらためて検討することにされたのでしょうか?
それも結局、人の問題なんです。
私の会社は、ある一つの施設では法的には39人の利用者さんを受け入れられたのですが、現場のスタッフに「いま何人受け入れられる?」と聞いたら、「この人員状況だと10人くらいの利用者さんが限界です」と言われました。
しかたがないので、4つのうち、その1つの事業所を閉めてほかの事業所に人を回したんです。「異動するなら、辞めます」と言って、そこで退職していったスタッフもいました。
しかし、それでもダメでした。3つの事業所でも営業利益はちゃんと出ましたが、売上不足で借入金が返せなくなってしまったんです。
このまま経営を続けてもジリジリとお金がなくなっていくだけだと思って、いよいよ会社を売ろうと本気で決断したのです。
――その後はどのように動かれましたか?
新潟の地元の地銀がメインバンクだったんですが、そこがM&Aのセミナーをやるというので参加して、そのままメインバンクに相談して東京のM&A業者を紹介してもらいました。1回目の業者とは別のところですね。
そうしてM&A業者と契約したのですが、どうにもうまくいきませんでした。まず、業者が「着手金が200万円必要」とのことので支払ったのですが、その後もいっこうにM&Aの話が進まないのです。そのままズルズルと1年間が経ってしまったのですが、「契約の更新料としてまた100万円くらいのお金が必要」と言われてびっくりしました。
1年間も全然話が進んでいないのに冗談じゃないよ、と腹にすえかねていたところで出会ったのが、絆コーポレーションさんでした。
地元業者のサポートで一転、M&Aが前進
――地元の業者である絆コーポレーションさんと東京の業者は違いましたか?
かなり違いましたね。地元で動いている会社は、地元ならではの情報に精通していることを痛感しました。いま思えば、地域特有の事情を理解していない他エリアの業者が地方のM&Aを手がけること自体、なかなか難しかったんだと思います。
絆コーポレーションさんにお願いしてからは、買い手候補が見つかる早さもその後の対応もとにかくスムーズで、東京の業者との契約を打ち切ってから1年もせずに会社の譲渡まで完了できました。
――難航していたM&Aが業者の変更で一転、うまくいったわけですね。
私の会社が不動産を持っていたのも、成功の要因だったと思います。最初に起業したとき、他のオーナーがいる土地建物を借りるのではなく、リスクをとって自分で土地を買って開業する形をとりました。自社で保有している不動産はM&Aの交渉で資産として高く評価してもらえたようです。
M&Aが成功して、本当によかったです。人繰りの悩みで眠れない夜もなくなりました。引退したいま、経営の心配はないので、釣りにゴルフに旅行にと、のんびり趣味を楽しませてもらっています。
――経営者時代の大変さを何度も繰り返し語ったM.Oさん。これからは悠々自適の引退生活、存分に楽しんでください。
小川 潤也
株式会社絆コーポレーション
代表取締役