ローカルM&Aマガジン

減らない負債、迫る廃業の危機――再生型M&Aで会社の未来をつないだ3代目経営者

投稿日:2026年8月10日

[著]:小川 潤也

創業から長い歴史をもつ食品メーカー。手堅い主力商品はあるものの、工場の生産力は上がらず、加えてコロナ融資の返済負担もあり、資金繰りは年々厳しさを増していました。「このままでは廃業しかない」――そんな状況の中で選んだのが、スポンサー企業を迎える再生型M&Aでした。会社名も従業員も守りながら、新たなスタートを切った経営者の決断をご紹介します。

赤字にコロナ融資の返済が追い打ち

――御社のこれまでの歩みや事業内容についてお聞かせください。

戦後まもなくの頃に私の祖父が地元で創業しまして、私が3代目になります。以前はスーパーに直接惣菜などを納入しており、従業員も多い時は100人あまりいたこともあります。その後、加工食品の製造販売メーカーに業態転換し、売り上げもそれなりに伸ばしてきました。ところが2017年ごろをピークにやや売り上げが落ちてきたところにコロナ禍が追い打ちをかけ、厳しい状況に陥ってしまいました。

――M&Aという選択に至った経緯は?

ここ数年の決算で赤字基調が続いており、銀行さんから融資をしてもらっても金利の支払いだけで苦労するような状態でした。コロナ融資を利用したものの、その返済も重くのしかかっていました。そんな時に銀行さんにM&Aという方法もあると提案され、絆コーポレーションを紹介されたのです。

廃業ぎりぎりで選択したM&Aという道

――M&Aは、どのように進んでいきましたか?

食品関連の業種を中心に県内外で200社を超えるリストを作っていただいて、ご提案いただきました。その中で10〜20社ぐらいのところに、会社名は伏せて弊社の業務内容と状態を示し、M&Aへの意向を打診してもらったわけです。その中でいち早く手を挙げてくださったのが、今回スポンサーに決まったA社でした。もう一社あったのですが、そちらはA社が先行してM&Aを進めていく中で、途中で辞退されたようです。

――M&Aにあたっての条件はどのようなものでしたか?

会社の名前を残すことや、従業員の雇用保証などはもちろん優先事項としてはありました。ただ、倒産・廃業も予想されるような差し迫った中でのM&Aの公募であり、それほど厳しくこちらの理想ばかり言ってはいられない状況でしたから、とにかく事業が継続できることを第一に考えていました。

ブランド力が買われて大手企業がスポンサーに

――M&Aを進める中でご苦労されたのはどういった点でしたか?

一番大変だったのは、JANコードの問題です。私どもは、問屋さんを通して商品をスーパーの棚に納めているので、住所や電話番号が変更になったりするとJANコードを変えなければなりません。ところが今年のナフサ不足の影響で、商品の袋を印刷し直すには何ヶ月もかかるので、変更はできない。そういう制約がありましたので、今までの事業を受け継いでもらう会社を、うちの会社の名前に変えてもらわなければならず、その手続きが、タイムリミット的に非常に厳しかったと思います。

――負債があるにもかかわらずスポンサーとなってくれたA社は、御社のどういった点を評価したと思いますか?

東京に本社がある食品会社ですが、東北に工場を持っていて、新潟にも工場がほしかったようです。何よりも、うちの主力商品の中には、国産原料にこだわり、ブランドとして全国的に知名度の高いものもあるので、そういったブランドの価値が認められたのだと思っています。

再生型M&Aならではの苦労

――一般的な「事業承継型」と異なり、御社のような「再生型」M&Aの場合、どのような手続きが必要なのでしょうか?

国の制度を利用するため、そのガイドラインに沿う形で進めていく必要があります。まず弁護士を立てて、バンクミーティングを開いて銀行さんに金融債権を一部放棄してもらう協議をしました。資産の分配、経営者個人の補償などにあたって、不動産鑑定士や税理士など専門家の力も必要でした。同時に、先述のように社名変更に際して事業を止めないための諸手続きも必要でしたので、すべきことはたくさんあり、時間との戦いでした。

――絆コーポレーションの対応はいかがでしたか?

困難な案件だったと思いますが。何度も面談を重ねてお話しする中で信頼感は増していきました。M&Aの会社は東京ならたくさんあっても、絆さんのように地元を拠点にしていて、しかも首都圏や全国にパイプを持っている会社はごく少数です。スポンサーが決まってしまえばあとは知らんぷりという会社もあると聞きますが、小川さんは最後まできっちり面倒をみてくれました。

再生、さらに事業の拡大に向けて踏み出す

――M&Aを終えてのご感想はいかがですか?

商品のブランドも残すことができ、従業員もそのまま働き続けてもらうことができたのは何よりです。崖っぷちに追い詰められた末の選択だったにもかかわらず、結果的に最善の形で会社を残すことができたので、ほっとしています。もちろん、ご縁というのもあったでしょうが、やはり小川社長をはじめ、弁護士さんなど専門家の方々に一生懸命尽力していただいた結果だと思いますので、非常に感謝しています。うちの場合はたまたま後継者がいなかったからこそ、M&Aという思い切った決断に踏み切れた、ともいえますね。

――新会社の体制と今後の方向性は?

私は顧問ということで残してもらい、もとの役員も全員、取締役は外れましたが部門の長として残っています。旧会社の赤字の原因は、工場での生産力が低かったことが大きいのですが、スポンサーからの提案で、生産能力を上げるための品目の拡大や商品の開発を進めているところです。今回のM&Aは事業そのものにとっても、拡大に転換できる絶好の機会だったということですね。

まとめ

会社を残したい思いはあっても、資金繰りや借り入れの問題を抱えていると、自社だけで解決することは容易ではありません。今回のケースでは、金融機関や専門家、スポンサー企業など多くの関係者の連携によって、会社・ブランド・従業員を守りつつ新たなスタートを切ることができました。再生型M&Aは、簡単ではありませんが、廃業しかないと思っていた企業に新たな道を示す一つの方法と言えるでしょう。

著者

小川 潤也

株式会社絆コーポレーション
代表取締役

1975年新潟県新潟市(旧巻町)生まれ。株式会社絆コーポレーション代表取締役社長。大学卒業後、株式会社富士銀行(現・みずほ銀行)入行。法人担当として融資、事業再生、M&Aなどの総合金融サービスを手がける。2004年、医療介護の人材サービスを手がける株式会社ケアスタッフの代表取締役に就任。また銀行勤務時代に培った新規取引先の開拓やM&Aでの経験を生かし、地方都市の後継者不在、事業承継ニーズに応えるべく、株式会社絆コーポレーションを設立。M&Aアドバイザリー事業、スペシャリストの人材紹介事業を展開。著書に『継がない子、残したい親のM&A戦略』(幻冬舎)がある。
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